1)Faith is cold as ice --
2)Why are little ones born only to suffer
3)For the want of immunity
4)Or a bowl of rice?
5)Well, who would hold a price
6)On the heads of the innocent children
7)If theres some immortal power
8)To control the dice?
いきなり冒頭のfaithで躓きます。
Faithが「氷のように冷たい」とはどういうことなのか?
換言すると「氷のように冷たい」Faithとは何を意味しているのか?
先に2以降を読み進めます。
2)なぜ苦しむためだけに子供たちが生まれなければならないのだろうか?
3)ワクチンも受けれずに
4)たった一杯の米も手に入らずに
2〜3はWhy〜?で挟まっているので1つの文章と捉えられます。
2で「なぜ子供たちが苦しまなければならないのか」と投げかけ
3,4でその苦しみの内容を説明しています。
だいぶ直球で訳してしまいましたが私的解釈山盛りです。
(私にはアフリカで内乱、貧困、飢餓に苦しむ子供たちの顔が見えています)
want of 〜で「〜が不足している」「〜を必要としている」という表現で、
the が付くことでその深刻度が増します。
immunityを「免疫」として、免疫を必要としている状態であると伝えていると思います。
で全く詩にもならずワクチンと書いてしまいました。
詩的には
3)満足な防疫も受けられず
みたいな感じでしょうか。
4番も同様に、食料も全く行き届いていない風です。
「want of a bowl of rice」のwant of が省略された並列表現だと思われます。
5〜8までがまた難しく
前段同様、who〜?を結ぶと塊り全体が1つの文章ということになります。
put a price on one's head で「〜の首に賞金をかける」という成句があります。
構造が似ていますが動詞がholdになっています。
子供たちの首に懸賞金をかけるというのも何やら意味がよくわかりません・・・
このholdをどうとらえるか?
現状での私的解釈では「責任を負う」としてみました。
holdには「約束を守らせる」「義務や責任を負わせる」という意味があります。」
またpriceには代償、犠牲といった意味もあります。
成句をぶっ壊してそのまま読んでいこうと思います・・・
(まず私の姿勢ですが、Neilが子供を引き合いに出してネガティブなことなど言うはずがない!とう前提です)
ちょっと訳しづらいので、節は追いません。
5)Well, who would hold a price
6)On the heads of the innocent children
7)If theres some immortal power
8)To control the dice?
5.6)でも誰が子供たちに懸けられた大きな犠牲を負おうというのか
7)もし仮に常住の力なるものがあって、
8)さいの目を操れるとしても
ちょっと言葉の創作が入っていますが・・・
5の「a price」と2の「suffer」はイコールだと思います。
子供たちに一方的に降りかかる苦しみと、その犠牲。
「some immortal power」を「常住なる力」としてみました。(ちょっと仏教的ですが)
immortal,mortalはNeil師匠が時々使う言葉です。
(Xanadu でもKubla Khanをimmortal manと表現しいます)
mortalは生命の背負った質としての無常を意味します。
命の儚さや、死そのものを指すこともあります。
仏教的には、全てのものは生滅を繰り返し変わらぬものはないという考えが無常です。
immortalはその反対ですから、
永遠に存在するもの、変化しないもの、不死、不朽を意味します。
ギリシャ神話の神々を指すこともあります。
仏教的には無常の反意語として「常住」という言葉があります。
実際にはあり得ない究極の資質ですね。
(余談)
物理学的にも熱力学第二法則で同様のことが定義されていますね。
不可逆なエネルギーの方向性を定義したものです。
乱暴な説明をすれば「どんなものもボロボロになっていく。ボロボロから力を加えることなく元の姿に戻ることはない。」ということです。
エントロピー増大の法則とも言われ、
エントロピーをmortal、反意語であるネゲントロピーをimmortalと言ってもいいかもしれません。
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そんなで「常住なる力」としてみました。
ここでの意味は「神秘的な能力」を持っていたとしても、
その問題(飢餓、貧困)に能動的にならなければ(自分でダイスを振らなければ)何も始まらない、と。
さて、ここでブリッジに展開します。
昨日解釈しましたが、再掲します。
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We go out in the world and take our chances
Fate is just the weight of circumstances
Thats the way that lady luck dances
Roll the bones
世界に飛び出しチャンスを掴もう
宿命など事情の圧迫に過ぎない
そんな風にすることが幸運の女神を踊らせるのさ
ダイスを振ろう
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こうつながってくると「誰が?」という問いに対する答は、
「私たち一人ひとり」であることが解ります。
他人事ではなく能動的に自前でやれることをやろうじゃないか!
と私には聴こえます。
さて、保留にした「Faith」ですが、
現状では次のように解釈しておきます。
1)忠誠とは氷のように冷たい
いい言葉としての信義や信頼だと意味合いが変わってしまう気がするので「忠誠」としました。
現在でこそ信仰的な色が濃い言葉ですが、古くは兵士と軍(国であったり、君主であったり)との関係を結ぶものとしてありました。
美しい響きもありますが、何がし主従の関係があり、目的を達成するための関係であり、圧力下に結ばれることも少なくないでしょう。
ではその忠誠がなぜ冷たいのか?
(ここから先は私的な物語に過ぎません)
忠誠とは「主」の目的のために援助するわけで、その際、「主」以外にどのような影響が及ぼうが関係ないのです。
極端な例であれば、「主」が他民族を武力制圧しようとした時、その他民族を殺することが「従者」の勤めになります。
そこまで極端でなくても会社の指示で森林を買い上げてリゾート開発するために一帯を焼き払うのは社員の仕事です。
そして、様々なレベルでの契約的忠誠をあちらこちらで押し通そうとするれば、
結果、しわ寄せは有無を言わさず弱者に集まってくるのは歴史の事実ですし、
現在の貧困や飢餓はその最たるものであるわけです。
行為自体は自身の契約的信義(=忠誠)に基づいてやっているのだろうけれど、
その矛先は知らぬうちにアフリカの子供たちに向いているだぞ、
なんとも酷い忠誠だ、と。
今の私には聴こえます。
(民族紛争や宗教戦争にも当てはまりますので「冷たい信仰」という線も考えましたが、それを特定して言ってはいないと思うので下げました。ただ、契約的な信義として信仰も含んでいると考えていいとは思っています。)