2005年05月19日

Freewill

人気も高く、勿論、私も大好きな曲であります。
・・・が、難しいな。柔らかく読むか硬く読むかによってイメージも変わります。
しかしそのテーマは自覚的な意思を持つことの大切さであることに間違いはなく。元気が出るわけです。


歌詞全文

難しいというは、Neil師匠は言葉の生み出す像が一方的、断定的にならないように、
あるいは、何故に問題なのかを浮き彫る為に、
自身の言葉やアンチテーゼ、一般論そして世相描写を混合して表現するからです。
読み始める際に、誰の、あるいは何ついての言葉なのかを意識しないと迷走してしまいます。
(自分がよくそうなります。)

この独特な歌詞のスタイルは本作Pewから始まったといってもいいかもしれません。
そしてその、読み手に委ねる表現方法は、
その根本テーマとしての作品「Freewill」の意味をとって「Freewill的技法」と命名したいくらいです。

・・・
Freewillという言葉を探索して行き当るのは
「決定論と自由意思」という哲学的概念の対立であります。
全く相反するものとして捉えられ、
互いがどちらか寄りの非両立主義という学派があるほどの激烈な観念論争であったようです。
決定論にもヘヴィ(カルマ(業)のようにネチリと過去世にまで遡るなもの)からライトなものまであるようですし、各科学によってもその意味は小差があるようです。

「決定論」とは簡単に言ってしまえば、事象は全て事前に規定されているのだとする考え方。
そして、非決定論にも通じますが、物事は過去や周囲に何ら固定されずに自らの方針によって進路を選んでいくという考え方が「自由意思」です。

カントやトーマス・ホッブスといった両論は両立すると考えた学者もいたようですが、理論的な統合があったわけではないようです。

そういう背景を考えていくと、プロットとしてこの「決定論と自由意思」は「あり」ですが、
その背反ぶりがどうのというよりも・・・論理的昇華が必要な哲学命題というよりも、自分が生きていく中での価値観の見据え方がテーマであると思います・・・宗教観に結びつくようにも思いますし。
その辺は、歌詞の中に「holy horrors」「celestial voice」「god」という言葉を敢えてアンチテーゼ側のプロット(あるいはキーワード)としてNeil師匠が使っていることからも感じます。


(余談)
理詰めでいくと物事はみな連鎖しているという考え方は間違ってないと思うのですが、
近代科学で理詰めにしてみたら決定論が劣勢になってしまったのは面白い。
決定論派が考えた「全ての原子を捕捉できれば将来すら予測できる」とした仮定が、
更に究極化した量子力学やホーキンス氏の不確定性理論によって、素粒子の動きは気まぐれである可能性が導き出されたのですから。
posted by snowdog at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | Permanent Waves | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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