2005年05月20日

Freewill(詩その1)

実は認めたくない反立の言い分が全体的を占めている。
それは、正に「そうではないんだ!」を鮮明化するためのシナリオ。
オフィシャル邦訳とは全く違う像になってしまいました。


歌詞全文

オフィシャルの邦訳は手持ちのCDが殆ど輸入盤なのと、LPが友人の所に離散してて確認ができないんです(笑
Pewは先日買ったので、Freewillだけちょっと見てみました。
・・・なんか全然違うけど、まぁいいか、ということで。

冒頭から蹴躓きました。
出だしは「決定論」の結論がアンチテーゼ側の言い分として語られているのは解ります。
(ここも、さらりと「と考えている人たちがいる」という表現で、遠巻きであるところもNeil師匠的で唸ります)
言葉が長いのは珍しいように感じました。

There are those who think that life has nothing left to chance,
A host of holy horrors to direct our aimless dance.

1行目の文章自体は、決定論の逆表現で
「事象というものに偶発するものなど何も無いという人たちがいる」
つまり、すべては為るべきして為ると定められているのだ、と決定論的に主張する人々がいる、ということです。

lifeを「人生」とせずに「事象」としたのは、2行目の修飾を意識したからです。
平易に「この世の出来事」でもいいと思います。
ショッキングですが2行目の自訳を先に記しますと、

「幾多の宗教的な惨事が我々の意図無き吊し上げの原因なのだ、と」

holy horrors とは宗教教義上の理由によって起きた惨禍や殺戮のことです。
dance ですが縛り首にする(される)というslangとして使われます。

ここで、そのslangとして使っているのかどうかは断定できませんが、
「無目的な舞を指示している」という意味深な直訳よりも、holy horrors と連鎖させ、
過去の惨禍から導き出された当然の帰結なのだと、現在の惨禍(aimless dance)を決定論的に考える人がいると捉えた方が意味が通ってきます。
(過去の所為にして今の蛮行を正当化している、という意味でしょう多分)

(余談)
現在のイラクでの戦争状態も表面的な大義の衝突という点ではholy horror と言えるのではないでしょうか。聖戦だ、などと宣言して巻き込まれていくイラク国民にとっては間違いなくそうであると思います・・・

また、都合よく決定論を持ち出すなと、Neil師匠が言っているようにも聞こえます。

続くバースがまた難しく、推測山盛りで進行します。
-------------------
 弄される者たちの星
 我々は不可知な力の操り糸で踊らされているのだ
----------
ここまでは、ついつい哲学風に訳してしまうのですが・・・

そして、その後の""部分。
同じく決定論的に投げやりな誰かの吐露と捉えています・・・

The stars aren't aligned は慣用表現であるのは間違いないのですが、日本語化されていない表現です。
(前の歌詞にplanetという言葉を使っていてトリッキーになっていますが)

"The stars are aligned"という肯定系もあり
チームスポーツで花形プレーヤーを揃えることや、何かのプロジェクトで力量を持ったメンバーを配することを指すようで、記事の見出しなどで使われることもあります。

ここは、not なので日本語風にすると、「役者が揃っていない」という感じでしょうか・・・

それを踏まえると、the gods は「神々」ではなく口語表現の「天井桟敷の観客」つまり熱狂的なファンのことではないか・・・

負け試合になった野球の監督がイライラしながらコメントしている絵が浮かんできます。
「うちは名プレーヤーを揃えていないから、
 そうじゃなきゃファンが悪いのさ」

前段の蛮行の言い訳と同じですよね
そして最後に、
「非難というものは受けるより、する方が楽だよ」
これはNeil師匠の監督への嫌味なコメントですね。自分の指揮を顧みず、選手の力量不足と客の所為にしているのですから・・・

(もちろん、言葉だけなぞると・・
 惑星は整然と配置されていない
 神々は本来的に悪意ある存在なのだ
 とも、訳せます・・・)

・・・
サビは・・・(余談:デジャヴしてます・・・独り言)
-----------
あなたは、前以て用意された指針を幾つかの神々しい言葉の中から選ぶことができる
どれからも選ばないと決めたとしても、既に一つを選択したことになる
-----------
うーん、1行目は宗教に根差すこともできるというニュアンスが感じられますし、
ハウツー本に倣うこともできるという嫌味な言葉にも聞こえます。

2行目は、社会契約論にこういう考え方があったような記憶が・・・曖昧ですみません。

続く1行が、ちょっと保留気味なのですが
You can choose from phantom fears and kindness だけなら
「あなたは得体の知れない不安と愛から選ぶことができる」
となるのですが、問題は "that can kill;"
現時点ではfears and kindness 両方にかかると考えていまして、
物騒かもしれませんが、「殺人にも及ぶ」過度の不安と愛ではないか、と。
(第1バースを引きずり過ぎかなぁ・・・)

I will choose a path that's clear
I will choose freewill.

ここは、もういいですね。
びしっ!と、私が選ぶものを宣言しています。

・・・冒頭、述べました通り、この最後の「びしっ!」以外は好からぬ側の描写であるのではないかと思います。
posted by snowdog at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | Permanent Waves | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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