異なる事象に相似なイメージを持つことや類似点を見出すことは、
確かに面白いかもしれないけれど・・・
楽章を通した雑感をまとめました。
Tide Poolsでは
short-lived galaxyに生き
They soon forget about the sea...大海原のことを忘れてしまう。
と詠われていました。
「短命な銀河」とは磯に出来た幾つもの潮だまりを指していて、
「短命な」は潮だまりにかかっていてるわけです。
これって脈略無いようにも、矛盾しているように見える。
「短命な磯」とわざわざ表現していることと、
潮溜りに慣れて海のことを忘れてしまうということとがどうにも結びつかないように感じられていた。
その答は第3楽章に綴られている。(この造りは非常に秀逸であります。)
第3楽章「Permanent Waves」の最後の2行を放置しておきましたが、
何故に「短命な銀河」なのかが、この最後で明らかになるわけです。
再び波が押し寄せ潮流が海岸線を覆い、潮溜りも何も飲み込んでしまう。
そしてまた引き潮の後に新たな潮溜りが出来ていく・・・
ストーリーがまたTide Pools に還っていく・・・
・・・そうなんです、映像がループした造りになっているのであります。つまり、これが・・・
(潮騒のSEが入っていますがとても効果的。)
さて
この「自然科学」という詩の世界。全体が当然つながっていて・・・
Tide Pools での視点はとても人間的だと思う。
達観しているようでもありますが、反省を促すような言葉でもなく、身の丈に合った静かな描写であるわけです。
肝はやはりリフレイン部の言葉で、再掲しますと
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Our causes can't see their effects
原因は及ぼす結果なんか知っちゃいない
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決定論を痛烈に皮肉っているわけであります。
仮に決定論的に事象がつながっているとしても、最初の「コツン!」は玉突き末尾の「ドカン!」など意識して動いているわけではない、と述べています。
Hyperspace での展開はその「つながり」の探求から生じた価値の変化に対して否定的な内容でした。
「潮溜り」よりも更に本質的な視点へと流れていくわけですが、物言いは人間社会の大枠に対するものだろうと思う。
「劇的な変化によって宇宙は膨張した」と綴られている部分は科学の発展を物質的(盲目的でもあり、偏執的でもあり、商売っ気たっぷりでもあり)に拡大させていることへの揶揄に感じます。
「多次元」というタイトルはもちろん比喩ですが、この楽章の全体的な雰囲気と照らすと好からぬ感じであるのは間違いない。
量子力学やひも理論といった新しい或る基準においては物質、事象が多次元(10とか11)であるということは既にスタンダードであるのですが、それは結局「見方」でしかないわけです。
しかし、複雑に絡まった視点や価値観から紡がれた大勢の流れ(ここで言えば物質的市場的な)が生じていることも事実で、その幾多の思惑が絡まった社会をHyperspaceと比喩しているように思います。
最終楽章の好きなところは、他人行儀な俯瞰図として描くことを避け、社会の営みもそうだけれども、私たちが臨んでいる芸術の世界も同様だ、と綴られていることです。この感じがないと実に冷たい内容になってしまう。
俯瞰図か・・・そうですね、相似というか、テレビに映っている自分を見ているテレビを見ているような構図になっているようにも思えます。
最後の2行
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Wave after wave will flow with the tide, and bury the world as it does
Tide after tide will flow and recede, leaving life to go on as it was...
止め処無い波はその潮によって満ち、ままに世界を覆う
止め処無い潮流は満ちそして引き、依然と小宇宙に生きる命を残していく
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締めの言葉というよりも対峙すべき現実が詠われいるわけです。
その前段での「真摯でいよう」という言葉は、この最終バース的な大きな流れ(歴史といってもいいかもしれません)においても、ということだと思うんですね。
それは最後の as it was からも覗える。
「今までそうだったように・・・」となっています・・・。
GUPとも通じるRUSHの基本姿勢というか背骨な内容であるわけです。
この曲はアルバム総括的な位置付けと見ていいと思います。
Permanent Waves という言葉の意味も見えたような見えないような・・・
2005年07月11日
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