2005年07月13日

Freewill(人間とは何か)

マーク・トウェインの「人間とは何か」という随筆風著作。
Permanent Wavesの底流テーマであろう「必然と自由」という矛盾含みの考え方とラインは同じであり、自由意志というベタな章題もあり・・・


直接関係があるのかどうかは判りません。
Natural Scienceという曲があるくらいですから、Neil師匠が根本的なプロットして既に「決定論と自由意志」を携えていたとも考えられます。
ただ、続くMoving Pictures にTom Sawyerという曲を創出していることから推量すると、強ち「人間とは何か」(原題:What is man?)と関係ないとは言えないような気もします。

以前にも触れたように晩年のマーク・トウェインは厭世観(論評や評論家はトウェインのペシミズムとそれを呼ぶ)に憑りつかれていた。その厭世の根元には決定論的思考があって、本著作でも事象は唯一の動機によって連鎖していると登場人物Aである「頑固じじぃ」に語らせています。
(あの爽快なトム・ソーヤの作者と同一人物が書いたとは思えない出来栄えの作品でありまして。筆を終えた後、周囲の評判が余りにも不味いものも手伝ってか、本作は当初「匿名」で世に送り出されたという経緯もあります。)


登場人物Bである「普通の青年」は果敢に「じじぃ」に議論を挑みます。
・・・が、段々と爺の言い分に聴き入るようになります。投げやりにではあるけれども青年は気付くのです。確かに今までは、自分は何を根拠に行動していたのだろうか、と突き詰めて考えたりはしなかったかもしれない・・・と。

設定が唐突なために何でAとBが議論しているのかは「さっぱり」解りません。しかしの「さっぱり」解らないということも、この作品の狙いであるように思います。普段、自分が都合よく「必然」と「自由」を使い分け、縫うように生きていることに気付かせるからです。

この感じ、RUSHのFreewillと似ているように感じるのですよね。全体が強硬な(或いはご都合主義の)決定論で埋まっているのですが、論旨としては、問題を気付かせ考えることを促すという流れであるという点において。

実は「じじぃ」、この自由意志という章ではありませんが、あれだけ頑固だったのにも拘わらず、或る個所で内省的な吐露をする部分があります。じじぃの自由意志(私的には自由意思)を感じる部分です。

原作で章題「自由意志」はどう表現しているのだろうと洋書情報を集めていたら、タイトル一覧どころか内容がテキスト化されていたのでご興味あるかたはどうぞ。原題はやはりFreewillでした。(しかし、小作品ですが全文出ちゃうというのも凄いな・・・)
What is man?/Free Will ←スミマセン リンク忘れてました(追記)

歌詞の I will choose freewill という名句。音(言葉の響き)も気持ちいいですが、この、すぱっという感じは、
もし「前以て全てが用意されていると言うなら」、君らの言い分であるところの「用意されているもの」であるはずの中の「自由意志」を選ぼうではないか、とパラドックスを突きつけているような痛快さからも来てるのか、と最近は思うようになりました。
posted by snowdog at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | Permanent Waves | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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