波とは或る物質が周期的な変化を持って或る方向に向かって伝導することと言えます。永遠の波とは何でしょうか・・・書いてて、とても面白い結末になった。
まず、大切なことはRUSHのアルバムというか創作の方向性がこのPermanent Wavesによって大きく変化したことであります。
変化というキーワードはRUSHに接するにあたり欠かすことができませんが、このエポックな作品である本作における変化はその後のRUSH像を収斂させていく先制パンチであるわけです。
しかし個人的には2112(レビュー前ですが)から連綿と続くRUSHの存在意義探求(=自分たちの音楽を生み出すことの本懐究明)の締めくくりでもあるように感じます。
以前にもも触れましたがバックステッチなRUSHですから、前方向への取り組みも一層為されているが故にMoving Picturesとセットで取り上げられるのが一般的であり(その通りであってもいいわけですが)、本作以降の群に加えられがちですが、私的にはHemispheresまでの流れを総括する内容のようにも思えてきました。
本作品を聴き続け詩の中身が見えてくると、
これまでの活動の結果、一つの発展的問題が導き出されたかのようで(解ではない)、そしてその問題に今後に向かっていくこへの宣言をしたかのような気がするのです。
それまでの歴史総括と未来への宣戦布告(創造的音楽創出への)であると・・・。
本作のテーマが「必然と自由」という哲学的なニュアンスを含んでいることは確かだろうと考えます。しかし、RUSHの素晴らしいところは、頭でっかちなオタク賢人としてそのテーマを紡ぐのではなく「相似あるいは類似」する物の見方を自らに則し、共通問題としてファン(或いはリスナー)に投げかけるところであります。
その中で語られることは、量子論や波動力学、概念としての決定論と自由意志というプロットを通して、人間関係や創作活動の困難打破をせんがための力強いエールと示唆でありました。
量子力学や近代の物理概念は決定論を否定する内容に近づいています。元来、決定性を探求するべき科学であったのにです。
Hyperspace を理解したかったので「ユークリッドの窓」という幾何学の歴史を綴った本を読んでみました(面白かった)。数学者、物理学者たちの苦闘の歴史とその知的好奇心には敬意を表しますが、一貫して流れている妙味な感じがありまして・・・
それは、新しい視点が加わるまではその直前の考え方が一般的なモノの見方を支配しているということです(まあ物理に限りませんが)。私達が普通に現世を3次元と捉えているモノの見方(確かにその筋の科学者が唱えた別の考え方を簡単に理解することはできませんし)それも、過去の(あるいは用意された)定義を「そうだろう」と感覚的に擦り込んでしまっていることに過ぎないわけですね。
科学者達の偉業の歴史は新たな視点とアプローチの変化が加わったことに他なりません。(勿論、一般的ではない狭義な探求ではありますが、出発点は共通項(公理)を明らかにしようとする研究心であるのでしょう。)
「ユークリッドの窓」を読み進めてうちに、空間が曲がっているとか、相対性理論やら、ひも理論だ、いや膜だと、私にとっては訳の解らない内容であっても、新しい視点が出てくるたびに何故だかワクワクしている自分に気付きます。
・・・
RUSHがこの作品で問題を出したと感じるのは、Freewill とNatural Science という相対する2作品の関係からです。
(2曲とも名曲であるところにミーハー心を勝手にくすぐられてしまうわけですが)
両作品とも決定論を否定し互いを補完するような内容にはなっていますが、
「私は自由意志を選ぶ」
「止め処無い波はその潮によって満ち、ままに世界を覆う」
という拮抗するテーマがそこにあります。
自由意志を選ぶということは方法論的には解りますが、自由意志を選択したことにより何ができるのかということは一切詠われていません。
そして、真摯に行動しても世は大きくうねって人を飲み込んでいく(だからこそ誠実に、真摯に! であるわけですが)ことには変わりはないと現実感をも持っています。
決定論自体は宗教的な理念とも絡まり、とても西洋的な視点だと思うんですね。
(神の思し召しであるとか、万物の創造といったところまでリンクしてきます。アジア人である私としては因果応報といった、関係の中で生まれた方向性というのは何となく理解できるのですが・・・)
これに対抗するってことは大変なことだと思うんですね、RUSHが。
The Spirit Of Radio やDifferent Strings、Entre Nous といったテーマを絞った曲においては当事者同士と本人の意志によって改善とか打破があるだろうとストレートなエールが伝わってきます。(それでもやはり固定的なものへの前向きな対処という意味においては非決定論的なアプローチとして紡がれているようにも思います。)
不思議なもので「ユークリッドの窓」を読了して思ったことがあるんですね。まぁ勝手な閃きとでもいいましょうか・・・
自由意志を選ぶ(決定論を否定する)ということは変化への感受性を尊ぶ(あるいは磨く)ということに他ならないのではないか、と・・・。あるいはその変化への感受性が人を高めると言えばいいのでしょうか。
これってRUSHのスタイルそのものですよね、現在においても・・・
それまでの「ちょっと形式としてのプログレ」から変化したのはこのPermanent Wavesというアルバムからでもあるところがミソであり「宣言」のように思える所以かもしれません。
不確定性という新しい考え方が出てきたことで物理学は進みますが、決定論への挑戦が始まることを意味していました。それと同様に、RUSHの音楽はアルバムPermanent Waves の宣言により、一段と深い音楽の精髄探求の旅へと出発することになったのではないかと思っています。
Permanent waves というアルバムタイトル、「自然科学」の章題としての意味とは別に(否定的なプロットではなく)、各楽曲が、伝播するエネルギーまたは質(=波)を発すること、そして受けること、そしてそれらが留まることなく続けなければならない大切な事柄として描かれていて、それを束ねるネーミングになっているように思います。
とても凄い作品だと思います、Permanent Waves。
(余談)
やっぱりそうだったか、という個人的なテーマ解決があったのでそのうちに書きます。
(余談2)
書いていて小松左京氏の「逆さに地図を眺めてごらん」という随筆をふと思い出した・・・
2005年07月18日
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予定調和を目指さない姿勢が、RUSHがいつも前向きな理由でしょうか。
視点を変えるという行為を、スタンスを見失うことなく
こんなに鮮やかにかつ丹精籠めて出来るバンドというのは本当にすごいですね。
コメントありがとうございます。
なんと言えばいいのか上手い言葉が見つかりませんが
直向なんですよね、いつもRUSHって・・・
やはりロックの可能性の象徴であろうと