もはや追随不能。
数多のFollowerが挑戦するのでしょうが、やはりこのGeddy独特のフラメンコ奏法はロック史上、いや音楽史上において無二奇特な存在であるに違いない。
先だって一緒に新年会を催したT氏は私のベース師匠でもあり、宴席ではしきりと
「やりすぎだよな。」
「だめだよな。」
「無理だよな。無理。」
と弾きまくりGeddyのSnakes&Arrowsにおける弾け(はじけ)具合について話し合った。
中でもグラミーにノミネートされたMalignant Narcissism の演奏については「凄すぎて笑ってしまう」ということで意見が一致した。
(またも残念ながら受賞できませんでしたが^^;)
フレットレスベースはいわゆる「粘り」「柔らかさ」という特徴を楽曲のエッセンスにするために使われることが多いのに対して、そんことはお構いなしの全く違う楽器のように本曲では奏でられています。
強いて言えば、三味線みたいなんすよね、激しい曲の。
アタックが強くて、フレットが無いというのにノート一つ一つが粒だっていて・・・
全編、無国籍なリフで構成されているのですが、ジャコのそれとも似てベースの可能性を開墾しているかのようなメロディとリズムです。
根本はコミックソングだと思うのですが意図的に盛り込まれたフレーズやリフはたった2分強という信じられない短さの中で「これでもか」ともの凄いパワーを放っています。
Geddyはもう人間ではありません。
いや、まぢで。
余談
今回のベース炸裂アルバム、
(話はまたもFar Cry になってしまうのですが)
ギターのオーバーダブが凝っているので隠れがちですが、ベースラインはいつにも増して強力です。
実際にライブでオーバーダブの抜けた3ピース演奏をしても全く色褪せることがないでしょう。
Geddyのベースラインはリフを除き、ボーカルのカウンターメロディになっていることが多いのですが(3ピースで音楽の広がりと厚みを持たせるには定番と言えば定番ですが、ロックで丁寧にそれを音楽的に取り込んでいるのは珍しい、弦楽四重奏の第1ヴァイオリンとチェロの関係のよう)、その縦横無尽な音飛びあるいは抑揚とハーモニーが最高にかっこいいのです。
それはFar Cryにおいても顕著です。
カウンターメロディーってなによ?って方のために
Far Cryをヘッドフォンで耳に押し当て気味に聞いてみてください。そして、Geddyのヴォーカルラインに集中して耳を傾けてみてください。ついでに頭の中で一緒に歌ってみてください。
一種の暗示ですが、ヘッドフォンを耳に押し当てて聴くとベースの音がやけに聞こえると思います。
もう一度、聞いてみましょう。
今度は頭の中でサビを歌いながらベースを聞いてみてください。
ヴォーカルラインの音数に沿うようにベースのノートがあってツインヴォーカルのハモリパートのようにランニングしていることが解ると思います。これがバッキングに埋め込まれたカウンターメロディです。
ルート音ベンベンというようなことはあまりしないのですGeddyは。
この疾走感と和音の広がりは、ヴォーカルラインを含めたアンサンブル全体の中で相当に練り込まれていることと確信します。
Far Cryにおいては更にAメロのバッキングに言及せずにはいられません。
独特な陰旋法をリフにしながら、ヴォーカルラインはそれにまったく追随しないというかなり変則的な構成になっています。
これは歴代の楽曲を見ても「The Enemy Within」くらいしかない希有なパターンです。
だいぶ前の記事に、Snakes&Arrowsには精神的歴史的な円運動がアルバムにあると書きましたが、こういう過去に培われたアプローチが割と具体的に実践されていることもファンにはたまらない味付けになっていると感じます。
2008年02月15日
2008年01月27日
Snakes&Arrows(友人との邂逅で)
先日、友人のT氏と新年会を開催し、存分に(いや足らなかった)RUSHの話を堪能した。
T氏は私とRUSHのライブ観戦をするために一緒に渡米した猛攻野郎である。
何年も暖簾を潜っていなかった相模大野の居酒屋でSnakes&Arrowsの不可思議な完成度についてあれやこれやと意見や感想を交わした。
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当たり前のことだが人の体は単細胞ではなく、各機関・機能になるべき特性を持っている肝細胞だとか脳細胞だとか骨細胞だとかそれらの細胞群で構成されている。
昨年末にニュースになった万能細胞生成の発明はその特性を意図的に加えることで様々な機能細胞を生み出す技術であったといえる。
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まず2人の共通意見として、再生をループさせると「We Hold On」と「Far Cry」の連続性に微塵の澱みもなく、無辺で良質な聴き心地をアルバム全体に覚える、という感想があった。
そして、そのことの説明になりうる別の話題が全く偶然的にあった。それは縦横無尽なRUSH談義の中で、今回のツアーのセットリストに「Circumstances」が盛り込まれていることだった。
私は過去この曲が私にとってRUSH最強の3分半だと書いたことがある。
パンチ、展開、リフ、変拍子、メロディライン、どれをとってもRUSHの醍醐味が詰まっている。もし、一曲だけライブ演奏をリクエストすることができるなら、この曲と「The Trees」で苦渋の選択を迫られよう・・・。
T氏が言う
「B1だからね。」
ビニール時代のアルバムというのは物理的に2面に分かれているので、これまた物理的にA面終了後にはレコード盤を裏返すという行為が必要になる。
確実に音楽的な中断を引き起こすこの状態をT氏は「途中休憩みたいなものだった。」と言った。
intermission
そしてその特性は作品のアルバムアレンジとして利用されることもあった。
RUSHのこの時代(2112から神々の戦い)などは顕著で、片面にコンセプト組曲、片面に単作を配していたほどである。
そして、この時代、A1とB1の曲には特別な威勢を持った作品が多いのはRUSHだけには限らない事だと思う。
特に「途中休憩」を挟んだこのB1には聴衆に与える新たなインパクトや風情、そして場面転換を牽引する役割というものが包含されていることが多く、そしてB1の出来がアルバムの出来に影響することも少なくなかった。
T氏はそのことを踏まえ「Circumstances」の凄さを「B1だからね。」と言ったのである。
旭旭
私は脳が記憶を蓄えているのではなく、細胞一つ一つ(もっと言うと細胞の中の構成物質ひと欠片ひと欠片)が、様々な機能を、古の思い出を、そして嗜好を、携えて次から次へと伝搬しているのだろうと思っている(ドグラ・マグラの擦り込みを否定しない)。私個人のというのではなく、遠い祖先まで縦につながる生命としての進化や敗退の歴史。体を構成する細胞全体がその歴史を遺伝的に蓄積し自身の中でブレンドしているのだと。
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genetic blends
CDが主流になってから、ビニールのように裏返すという操作がないため、どこがアルバムの真ん中か、あるいは折り返しかという概念は無く、そのこと自体の有無については全く意味が無くなってしまった。
結果、アルバムの楽曲配置が2部構成型から起承転結型あるいはドラマ型に変化してきたように思う。
このCD型の作品は、要求されるというか、自然とそうなるのだろう一種の「終了感」をアルバム最後の曲に持たせるということが特徴的な性行と言っていいと思う。
「ああ、アルバムを聴き終えた。」というフィナーレの香り。CD交換を想起させる幕引き的な空気。
ロックアルバムはA1、B1の重要性と2部構成的デザインから、アルバム全体のドラマチックな抑揚と終息感(=大団円、または品格のアウトライン化としての締めくくり)が要求されるように変化したのだ。
しかし前述のようにSnakes & Arrows をループさせると「We Hold On」と「Far Cry」2曲のつながりにはあたかも、ビニール時代のAラスからB1への展開のような不思議な連続性があるのだ。第2部開始を思わせる継続性を持った展開が。
そしてしかもこのアルバムはどの曲からループさせてもプレイヤーを停止することのできない終息感知らずの不思議なエネルギーを持った作品だとも言える。
意図的に仕掛けられていると思えなくもないが(キーやリズムといった観点から、そして彼らのユーモアから想像すると)、それを---メビウスの輪のようだ---などと幾何学的な比喩を用いる気には全くなれない。
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Snakes&ArrowsはRUSHの細胞たる過去全ての楽曲が、アプローチが、編曲が、個々の演奏が、織物のような美しさを持って神秘的に一つの形になった、そう生命としてのエネルギーを持ったかのような作品なのである。
(しかもそれは、ソロアルバムやFeedbackをも含有した格たる、確たるRUSHそのものなのだ。)
こんな作品には出会ったことがない。
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このあと、もう一つの共通認識というか共通の感想があったのですが、長くなりましたので、また次回。
T氏は私とRUSHのライブ観戦をするために一緒に渡米した猛攻野郎である。
何年も暖簾を潜っていなかった相模大野の居酒屋でSnakes&Arrowsの不可思議な完成度についてあれやこれやと意見や感想を交わした。
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当たり前のことだが人の体は単細胞ではなく、各機関・機能になるべき特性を持っている肝細胞だとか脳細胞だとか骨細胞だとかそれらの細胞群で構成されている。
昨年末にニュースになった万能細胞生成の発明はその特性を意図的に加えることで様々な機能細胞を生み出す技術であったといえる。
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まず2人の共通意見として、再生をループさせると「We Hold On」と「Far Cry」の連続性に微塵の澱みもなく、無辺で良質な聴き心地をアルバム全体に覚える、という感想があった。
そして、そのことの説明になりうる別の話題が全く偶然的にあった。それは縦横無尽なRUSH談義の中で、今回のツアーのセットリストに「Circumstances」が盛り込まれていることだった。
私は過去この曲が私にとってRUSH最強の3分半だと書いたことがある。
パンチ、展開、リフ、変拍子、メロディライン、どれをとってもRUSHの醍醐味が詰まっている。もし、一曲だけライブ演奏をリクエストすることができるなら、この曲と「The Trees」で苦渋の選択を迫られよう・・・。
T氏が言う
「B1だからね。」
ビニール時代のアルバムというのは物理的に2面に分かれているので、これまた物理的にA面終了後にはレコード盤を裏返すという行為が必要になる。
確実に音楽的な中断を引き起こすこの状態をT氏は「途中休憩みたいなものだった。」と言った。
intermission
そしてその特性は作品のアルバムアレンジとして利用されることもあった。
RUSHのこの時代(2112から神々の戦い)などは顕著で、片面にコンセプト組曲、片面に単作を配していたほどである。
そして、この時代、A1とB1の曲には特別な威勢を持った作品が多いのはRUSHだけには限らない事だと思う。
特に「途中休憩」を挟んだこのB1には聴衆に与える新たなインパクトや風情、そして場面転換を牽引する役割というものが包含されていることが多く、そしてB1の出来がアルバムの出来に影響することも少なくなかった。
T氏はそのことを踏まえ「Circumstances」の凄さを「B1だからね。」と言ったのである。
旭旭
私は脳が記憶を蓄えているのではなく、細胞一つ一つ(もっと言うと細胞の中の構成物質ひと欠片ひと欠片)が、様々な機能を、古の思い出を、そして嗜好を、携えて次から次へと伝搬しているのだろうと思っている(ドグラ・マグラの擦り込みを否定しない)。私個人のというのではなく、遠い祖先まで縦につながる生命としての進化や敗退の歴史。体を構成する細胞全体がその歴史を遺伝的に蓄積し自身の中でブレンドしているのだと。
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genetic blends
CDが主流になってから、ビニールのように裏返すという操作がないため、どこがアルバムの真ん中か、あるいは折り返しかという概念は無く、そのこと自体の有無については全く意味が無くなってしまった。
結果、アルバムの楽曲配置が2部構成型から起承転結型あるいはドラマ型に変化してきたように思う。
このCD型の作品は、要求されるというか、自然とそうなるのだろう一種の「終了感」をアルバム最後の曲に持たせるということが特徴的な性行と言っていいと思う。
「ああ、アルバムを聴き終えた。」というフィナーレの香り。CD交換を想起させる幕引き的な空気。
ロックアルバムはA1、B1の重要性と2部構成的デザインから、アルバム全体のドラマチックな抑揚と終息感(=大団円、または品格のアウトライン化としての締めくくり)が要求されるように変化したのだ。
しかし前述のようにSnakes & Arrows をループさせると「We Hold On」と「Far Cry」2曲のつながりにはあたかも、ビニール時代のAラスからB1への展開のような不思議な連続性があるのだ。第2部開始を思わせる継続性を持った展開が。
そしてしかもこのアルバムはどの曲からループさせてもプレイヤーを停止することのできない終息感知らずの不思議なエネルギーを持った作品だとも言える。
意図的に仕掛けられていると思えなくもないが(キーやリズムといった観点から、そして彼らのユーモアから想像すると)、それを---メビウスの輪のようだ---などと幾何学的な比喩を用いる気には全くなれない。
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Snakes&ArrowsはRUSHの細胞たる過去全ての楽曲が、アプローチが、編曲が、個々の演奏が、織物のような美しさを持って神秘的に一つの形になった、そう生命としてのエネルギーを持ったかのような作品なのである。
(しかもそれは、ソロアルバムやFeedbackをも含有した格たる、確たるRUSHそのものなのだ。)
こんな作品には出会ったことがない。
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このあと、もう一つの共通認識というか共通の感想があったのですが、長くなりましたので、また次回。
2006年03月06日
読経とLimelight
緩やかな変拍子とメロディの中における言葉の流れだったんだな。
Earthshine、Carve Away The Stone、それと大好きなLimelightの共通点はそれでした。
ちょっと分析風ですが、精神はprimitiveです。
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Earthshine、Carve Away The Stone、それと大好きなLimelightの共通点はそれでした。
ちょっと分析風ですが、精神はprimitiveです。
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